以下の写真は、埼玉県某所で撮影したものです。ほどほどの交通量があり信号機もある交差点そばの電柱に、白いスプレー(もしくはペンキ)で卑猥な三文字が落書きされていました。

「今どき、こんな昭和のような落書きをする人がまだいるのか?」
最初はそんな、呆れに近い驚きから始まった興味でした。しかし、この落書きを詳しく観察してみると、予想は大きく裏切られ、ある深刻なテーマへとたどり着くことになったのです。
文字内容の考察

この落書きを遠目で見ると一瞬「アイル」とも読めますが、やはり考察も何も「ア○ル」と書かれているように見えます。 一見すると、フランスの歴史学派である「アナール学派」へのオマージュか、あるいは「アナ!ル」という独自のサイン(タグ)のようにも見えます。しかし、場所や状況を考えれば、その可能性は極めて低いでしょう。
注目すべきは「ナ」の字です。
2画目の縦棒が異常に長く見えるのは、縦棒の長さを後から足しているからです。おそらく犯人は、一度書いた縦棒が短いと感じ下に書き足したのでしょう。バランスを気にする割に綺麗な仕上がりにはなっていませんが。
とにかく文字の内容はやはり肛門を意味する「ア○ル」で間違いなさそうです。
なぜ「縦棒」を伸ばしたのか
ここで一つの疑問が浮かびます。別にそこまで縦棒を伸ばさなくても意味は通じると思います。なぜ犯人は、これほど不自然な修正を施したのでしょうか。
答えは、犯人がこの文字を「言葉」としてではなく、何らかのお手本を見ながら書き写す「幾何学的な図形」として捉えていたからではないでしょうか。「お手本と形が違う、もっと長くしないと意味が伝わらないのでは」という心理が見て取れます。
ここから導き出される犯人像は、カタカナを習いたての小学1年生か、あるいは日本語の構造を全く知らない外国人です。もし小学1年生が「卑猥な言葉を落書きしてやろう」と思っても、選択される単語は「うんち」とか「おしっこ」レベルであり、まだ「ア○ル」は知らない可能性が高いと考えます。
ちなみに落書きの高さは、1年生でもなんとか頑張れば届くとは思います。
「ナ」の書き順が意味するもの
さらに文字を注意深く見てみると、重要なヒントが見つかりました。「ナ」の横棒が右から左へ書かれているのです。書き順が違います。

日本で教育を受けた人であれば、たとえ勉強が苦手な不良であっても横棒を右から左へ引くことはまずありません。身体に染み付いたリズムに反するからです。文字を習いたての小学1年生ならなおさら。わざわざ教わった書き順の逆で書くことは、よほどのこだわりや意図がないとできません。
しかし、アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語といった、文字を右から左へ書く文化圏(中東や南アジアなど)の人々にとっては、これが自然な手の動きになります。 もちろん、特定の民族を犯人と決めつけるつもりはありません。しかし、この「書き順の逆転」は、犯人が日本の文字文化に全く馴染みのない人物であることを強く物語っています。
状況と目的の推察
なぜ、そんな人物がこんなことをしたのでしょうか。
SNSで注目を集めるための「迷惑系コンテンツ」であれば、もうちょっとマイルドな(グレーな)事象にするでしょう。「この落書きオレがやってやったぜ!」であれば、あえて逮捕されにいってるようなものです。(ただし仲間内だけの限定コミュニティ向けという可能性は残る)
「集団での悪ノリ」だったなら、この電柱の横にあるもっと広い壁に派手なものを描きそうですが、この電柱のこの三文字に納まっています。
おそらくこれは、単独犯(または多くても二人)による「突発的な、ささやかな不満の噴出」だと思われます。 仕事道具か何かでたまたま持っていたスプレーを使い、酒の勢いなども手伝って、スマホで「日本人が嫌がる言葉」を検索し、それを見よう見まねで書き写した。練習した形跡もなく、ただその瞬間の鬱憤を晴らすためだけの、不器用で衝動的な行為だったのではないでしょうか。
ちなみに公共の場所に卑猥な落書きをするという文化は世界共通のようです。ただし国や地域でその意識と実態には差があるようで、AIによる回答を記載しておきます(読み飛ばし可)。
<国・地域別の「落書き」に対する意識と実態>
| 国・地域 | 法律と実態 | 日本との感覚の差 |
|---|---|---|
| 中国 | 法律は非常に厳しく、監視カメラ社会であるため、都市部での落書きは即座に摘発対象となる。 | 日本と同じか、それ以上に「バレる」ことへの恐怖心が強いはず。 |
| ベトナム | 法律上は禁止されているが、街中にはスプレーによる広告やいたずら書きが散見される。 | 警察が軽微な落書きを熱心に捜査しない文化があるため、「これくらいなら捕まらないだろう」という感覚のズレが生じやすい。 |
| トルコ(中東系) | 政治的なグラフィティが多い地域もあり、公共物への落書きに対して「社会的な抵抗の一種」という寛容(あるいは諦め)がある場合がある。 | 宗教的・道徳的なタブーを侵さない限り、警察が動かないという認識を持っている可能性がある。 |
| 南アジア(パキスタン等) | 街中の壁が政党の宣伝や広告で埋め尽くされていることも珍しくない。 | 「電柱や壁は、何かを書いてもいい場所」という認識がデフォルトである層も存在する。 |
そこに至る経緯(背景)を考察
もし特定の個人に恨みがあるなら、その人の家や車を狙うはずです。しかし犯人が選んだのは、誰の所有物でもあり、誰のものでもない「公の電柱」でした。このことは、日本人全体、あるいは日本という社会制度そのものへの不満の表れに思えてなりません。
日本語の習得は非常に難しく、それが壁となって仕事や生活で不利益を被っている外国人の方は少なくありません。出入国在留管理庁などのアンケートでも、日本での生活の悩み第1位は常に「言葉の問題」です。
中には、母国の情勢により、やむなく難民として日本へ逃れてきた方々もいます。望んで来たわけではない環境で、言葉も通じず、将来の展望も見えない。そんな極限の孤独の中にいる人が、自分を無視し続ける社会へ向けて、精一杯の「嫌がらせ」としてこの三文字を刻んだのだとしたら――。
まとめ:SOSを無視しないために
この不器用な落書きは、社会の片隅で上がった、小さくも醜悪な「SOS」なのかもしれません。今はただの落書きで済んでいても、こうした「摩擦熱」を放置し続ければ、いずれもっと大きな、取り返しのつかない社会問題へと発展する可能性があります。
犯人へ: あなたの抱える事情は察するに余りありますが、落書きは明確な犯罪です。こうした行為は、あなたと同じ背景を持つ人々への印象を悪くし、さらにあなたの居場所を狭めるだけです。二度と繰り返さないでください。
読者の皆さんへ: この落書きを「マナーの悪い外国人の仕業だ」と切り捨てるのは簡単です。しかし、一度だけ想像してみてほしいのです。もし自分が、言葉も通じない異国で、誰からも必要とされない孤独に陥ったら、どうなるだろうか、と。「外国人排斥」という単純な思考に陥るのではなく、どうすればこの摩擦を減らせるのか、多文化が共生する社会の「隣人」として、解決策を共に考えていければと願っています。
おしまい
注)筆者は特定の国や民族に対して敵意や偏見は持っていません。むしろ、様々な国の多様な文化や音楽や料理を愛する一人です。この記事は、一つの落書きから見えた社会の断面を、客観的かつ真摯に考察することを目的としています。
関連コンテンツ
関連するかもしれない(しないかもしれない)コンテンツをいくつかあげておきます。
【書籍】埼玉クルド人問題/石井孝明
埼玉県のクルド人問題について住民の声や犯罪統計を基に克明レポートした、これ系のテーマではおそらく一番話題になっている本。まだ読んでませんが闇が深そうです。
【書籍】ア○ル・バロック/秋田昌美
尻、肛門からはじまり糞便、スパンキングや陰毛信仰まで、古今東西のシモにまつわる歴史や関連文化を多彩な文献から引用し、独自の解釈で関連付け、再構築しているアダルト注意な奇書。異なる特殊系雑誌等に掲載されたエッセイを束ねたものなので、一冊を通しての体系書ではありませんが、AIに千回聞いても出て来ない蘊蓄と発想が詰まっています。著者はもちろん、我らがMERZBOWの秋田昌美師匠!
【書籍】ぐろぐろ/松沢呉一
メタル雑誌BURRN!で連載されていたエッセイ「ア○ルは負けず嫌い」をまとめ、世間体を考えて改題したもの。連載1回目で肛門拡張界隈の話が掲載されると、読者から「不快である!」と抗議の投書が届きました。そのことへの謝罪のために「今後あらゆる不快な話題は書かない」と宣言し、以降「何を書かないか」を一つ一つ丁寧に記していく連載となりました。何回読んでも面白いエログロ辞典、詳しくはこちらで紹介しています。
【音楽】グラインドコアバンド「AxCx」
世界一卑猥なバンド名として知られている「ア○ル・カ○ト」。表記するだけで問題なので「AxCx」とか「A.C.」と略されることが多く、その音楽スタイルについても、子供に聞かせたくない音楽ジャンル筆頭の王道グラインドコアです。「何を注文してもおいしい飲食店」のように、どのアルバムを聴いてもしっかりグラインドコアなので、本当にどれから聴いてもOK。電柱への落書きなどで人に迷惑かけないで、AxCxのように文化として昇華した方が100倍良いですよ…という話をしようと思いましたが、そういえばメンバーがドラッグ漬けだったり暴力で何回か刑務所にお世話になっていたりするので、やめておきます。
