この記事は、スラッシャー映画の定石を打ち破った革新的な作品(との呼び声高い)、カナダのクリス・ナッシュ監督『バイオレント・ネイチャー』の感想記事です(少しネタバレあり)。
また、殺人鬼視点や環境音を駆使したその実験的な手法が、いかに従来の枠組みを破壊し再構築したのかを考察します。単なるゴア映画ではない、「インテレクチュアル・スラッシュムービー」の真の魅力と、それがもたらした根源的な恐怖体験を徹底分析してみたので、一度映画を観た方に読んでいただければと思います。
作品概要
私はこれまで、1980年代の古典的なものから現代の作品まで、数多くのスラッシャー映画を楽しんできました。しかし、2025年9月に鑑賞した映画『バイオレント・ネイチャー』(原題:In a Violent Nature)は、長年スラッシャーを観続けてきた私にとっても、非常に衝撃的で異質な体験でした。
本作の物語は非常にシンプルです。
森に埋葬されていた殺人鬼ジョニーが、キャンプ地にやってきた若者たちに盗まれたペンダントを取り戻すために蘇り、彼らを次々と惨殺していくという、まさにスラッシャー映画の王道を行く設定です。しかし、この作品の真価は、その「視点」にあります。監督は、ほとんどのシーンで殺人鬼ジョニーを後方や肩越しから淡々と捉え続けるという、斬新なアプローチを採用しました。
◆バイオレント・ネイチャー 本予告
賛否を分ける評価ポイント
この実験的な手法は、公開直後から評価の賛否が分かれる要因となっています。
映画批評家の間では、「アートとゴアの融合」「ホラーの演出論に一石を投じた革新作」として高く評価されています。BGMを排し、環境音を強調することで、美しくも静かな森の中で行われる暴力のコントラストを生み出した点は、特に評価されています。
一方で、多くの観客からは「殺人鬼がただ歩いているだけのシーンが長すぎる」「テンポが悪く、従来のホラーのようなサスペンスがない」といった、賛否の意見が二極化しています。しかし、私はこの意見の分かれ方こそ、本作がスラッシャー映画の大きな分岐点となり得る証拠だと感じています。例のヨガ・キル1シーンに代表されるようにビギナーにもトラウマ級の恐怖を与えつつ、ヘビーユーザーには新鮮な驚きを、という挑戦的な作品であると考えます。
評価ポイント:「非人間的な視点」と「引き算の演出」
私が本作を高く評価する理由のひとつは、その異質なカメラワークがもたらす視覚体験です。ジョニーを後方から追う視点は、まるで私が彼を操作しているかのような、ゲームの三人称視点(TPS)を思わせました。
この視点は、観客と殺人鬼の間に不気味な一体感を生みます。ジョニーが次のターゲットに向かって森の中を延々と歩く時間は、BGMもないため単調に感じられがちですが、私にはむしろ、次の惨劇を待つ儀式的な時間、あるいはゲームにおけるマップ探索のような奇妙な没入感がありました。また画面の画角が4:3であることも、視界に閉塞感がありよりその効果を高めていると思います。
そして最も重要なポイントは、従来のホラー映画が多用してきた、突然の大音量や不安定なカメラワークなどの「怖がらせようとする」演出が、本作にはほとんどないこと。不自然な加工がされていないからこそ、観客は恐怖を押しつけられるのではなく、静かな自然の中で自ら発見し感じ取ることになります。この、「真に自然な(無垢な)恐怖体験」こそ、本作が既存のホラー映画と一線を画す点だと考えます。
私もはじめはそうでしたが「あんまり怖くないな」と思う人の状態は、化学調味料でお膳立てされた加工食品の味に慣れすぎて、素材本来の味を活かした繊細な味の料理に対して「おいしくない」と感じてしまう状態と似ているかもしれません2。
逆に、音などの演出がいかに恐怖心に大きい影響を与えてきたか、ということの裏返しとも言えます。
考察:自然が持つ「根源的な暴力」
本作は、単なる殺人鬼映画ではなく、より深いテーマを含んでいるとも感じました。それは、人間が太刀打ちできない「自然」の力に対する根源的な恐怖です。
殺人鬼ジョニーの暴力は、復讐心や快楽といった人間的な動機よりも、まるで自然災害や動物の捕食行動のように淡々と描かれます。これは、山の中で遭難する、熊などの動物に襲われる、極度の暑さ寒さや病原菌などで命を脅かされるといった、人間が抗えない「自然の暴力」の恐怖と重なって見えます。映画の最後で、ラストガール(クリス)を助けてくれた車の運転手が「昔、夫がクマに襲われ…」と語る場面は、この考えを裏付けているように感じました。
また、捧げてあったペンダントを若者たちが盗んだことから殺人鬼が復活したという設定も重要です。
これは、自然の状態に人の手が加わり不幸が起きる、例えば森の破壊(メガソーラー建設など)によって自然のバランスを壊した人間への「しっぺ返し」、つまり環境破壊への警鐘という教訓的な意味も込められているのではないかと考察しました。3
ジョニーの暴力は、人間の浅はかな行いに対する、自然が持つ純粋な怒りのようにも思えるのです。
考察:ラストガールが森から脱出した際の演出の意味は?
映画のラストで謎の演出があったので考察してみます。
ラストガールが森の中を逃げ回って、命辛々脱出し道路に出て通りがかった車に助けられるシーンです。なぜかはじめに音が篭るように小さくなり、カメラが車に寄るところで音も復活してはっきり聞こえるようになります。画面もちょっとモヤっている状態からはっきり映る状態へと変化したように思えました。
まるで水中から水面に出たような聞こえ方だったので、森での危機的な状況を「海や川で溺れている状態と同等の危機的状況であった」と感じさせるための演出、というのが一つの案です。もしそうだとしたら、とても計算的で実験的かつ画期的で斬新なアイデアです。
もう一つの案は、オープニングからこのシーンまでは「ジョニーの父親視点」ではないかという案です。父親が死後ジョニーの守護霊となって常に彼を見守っているという設定です。そうだとすると延々と森を徘徊するジョニーを追いかけるという独特な視点も納得です。最後に逃げるラストガールを追う視点になりますが、ここも彼女の位置を補足しておくため(ジョニーのサポートのため)一時的にジョニーから離れたという解釈もできます。ジョジョの奇妙な冒険第4部に出てくる殺人鬼「吉良吉影」をサポートする幽霊父さんをイメージしてもらうとわかりやすいでしょう。
ただしこの父親には行動範囲に制限があり、テリトリーの森から出てしまうとそれ以上追うことはできません(という設定)。音が小さくなって視点が変わるのは、ジョニーの父親視点から通常の映画視点に切り替わることを表現したのではないかと考えました。
まとめ
映画『バイオレント・ネイチャー』は、その賛否両論を呼ぶ実験的な手法こそが最大の魅力です。
ゲームの視点に似た異質な没入感、環境音を活かした静謐な雰囲気、そして加工されていない純粋な恐怖への追求は、スラッシャー映画というジャンルを再構築して新たなフェーズへ押し上げました。世界のスラッシャー映画監督は、今後頭を悩ませることになるでしょう。
単なる「グロい映画」として片付けられるのではなく、その計算された手法やテーマが持つ革新性に注目することで、この作品の真の価値が見えてきます。監督は続編も構想中とのことですが、次回作はジョニーが自然の対比として都会的な病んだ暴力(環境汚染や交通事故や騒音、人の欺瞞や搾取や格差など)に立ち向かう、みたいな話、題してIN A VIOLENT URBANだったら面白そう、と勝手に予想しつつ期待します。
本作は、スラッシャー映画を愛する全ての人に、そしてホラー映画の未来を憂う全ての人に、ぜひ見ていただきたい一本です。
おしまい
関連コンテンツ
関連しそうなコンテンツをあげておきます。
映画
Rewild
トッド・フィリップス監督による短編映画『Rewild』(2020年)は、インドネシアの森林伐採をテーマにした衝撃的なドキュメンタリー・アート作品。最大の特長は、映像全体を逆再生で構成していること。ブルドーザーによる破壊や火災のシーンが、時間を巻き戻すことで、失われた森が元の姿を取り戻す様子として映し出されます。
この手法は、深刻な環境破壊に対し、「もし逆再生できたら」という切なる願いを込めた実験的な視覚的問いかけです。とても観たいのですが、ソフト化もされておらず観る手段がないのが残念。
プレゼンス 存在(PRESENCE)
『オーシャンズ』シリーズで知られるスティーヴン・ソダーバーグ監督が、脚本家デヴィッド・コープとタッグを組んだ新感覚ホラー。映画『プレゼンス 存在』(2025年)は、その全編を幽霊の「一人称視点」で描くという大胆な手法が特徴です。
まだ観ていないのでなんとも言えませんが、賛否が分かれているらしいので大変興味をそそられます。
悪魔のいけにえ(The Texas Chainsaw Massacre)
トビー・フーパー監督による『悪魔のいけにえ』(1974年)は、後のホラー映画に絶大な影響を与え、スラッシャー映画の古典にして原点となった伝説的な作品。SF映画における2001年宇宙の旅、ジブリ映画におけるナウシカ、ベニスにおける死す、スタンドにおけるスタープラチナ、緊縛における単柱縛り的な、まずは押さえておきたい一本です。
低予算ながら、ドキュメンタリータッチのざらついた映像と、息詰まるような音響が、観客に強烈な臨場感と底なしの不快感を与えます。その過激な内容から公開当初は物議を醸しましたが、その荒々しくもリアルな描写は、当時のホラー映画の固定観念を打ち破り、真に根源的な恐怖を追求した革新的な作品として、今なお語り継がれています。
漫画
地球の秘密/坪田愛華
坪田愛華さんが小学6年生の時に描いた『地球の秘密』(1991年発表)は、環境問題をテーマにした、世界的な感動を呼んだ作品です。
本作は、地球の歴史、自然界のバランス、そして環境破壊の現状を、アースというキャラクターと共に分かりやすく解説しています。子どもにも理解できるよう工夫された構成でありながら、大人も深く考えさせられる内容です。
愛華さんは本作完成の数時間後に急逝されましたが、その遺作は国連の場でも紹介され、「国連グローバル500賞」を子どもとして世界で初めて受賞。世界11カ国語以上に翻訳され、「私一人ぐらいという考えはやめようと思います」という愛華さんの切実なメッセージと共に、地球の未来を守るための行動を呼びかけています。
ジョジョの奇妙な冒険 第4部『ダイヤモンドは砕けない』/荒木飛呂彦
主人公は「殺人鬼の吉良吉影」、と言ってもほぼ差し支えのない荒木飛呂彦視点爆発の第4部、ジョジョの中で私が一番好きなパートです。
一番印象に残っているシーンは、吉良吉影が確実に殺せる状態に追い込んだ康一(吉良の敵)の靴下が裏返しになっているのを見て、殺そうとする前にわざわざそれを脱がせて履き直させていたシーンです(靴下を裏返して履くことを敵であっても許せないほどの吉良の几帳面さの描写)。
かすとろ式/駕籠真太郎
奇才駕籠真太郎先生の短編集、この中の「分裂増殖」から「追憶の彼方」までの5本が、マンガのコマ視点(コマの新解釈)として描かれた実験的かつ挑戦的意欲作となっています。しかもこの5本は話がつながっているのではなく、それぞれまったく別のアプローチとして独立。例えば「分裂増殖」は、一つのコマが意思を持ち、子供を産むように2コマ目が生成されていきストーリーができる…というアイデアです。
ちなみに内容的には基本エログロなので、耐性のない方は要注意。
ゲーム
天誅シリーズ
『天誅』は、1998年にPlayStationで第1作が発売された、忍者ステルスアクションゲームのパイオニア的存在のシリーズ。旧来のアクションゲームのお約束「派手な演出と爽快感」をリビルドし、「いかにひっそりと静かに敵を倒すか」というコンセプトを生み出したのが画期的。
Outlast Trinity
『Outlast Trinity』は、極限の恐怖体験を提供するサバイバルホラーゲーム『Outlast』シリーズの主要作品(『Outlast』『Outlast: Whistleblower』『Outlast 2』)を収録したパッケージ。プレイヤーは一切の攻撃手段を持たないジャーナリストとなり、血塗られた隔離施設や、カルト集団が支配する閉鎖的な村をビデオカメラ一本を頼りに探索します。
最大の特徴は、ひたすら逃げるという画期的な非戦闘システム。ホラーゲームの常識を覆した、徹底した「逃げる」恐怖を凝縮した傑作コレクションです。
音楽
Peace Sells… But Who's Buying? / MEGADETH
MEGADETHは1983年に結成されたアメリカのロックバンドで、METALLICA等と並ぶスラッシュ四天王の一角。テクニカルなギターリフや複雑な曲展開を特徴とし、中心人物のデイブ・ムステイン自ら"インテレクチュアル(知的な)・スラッシュメタル"と称していました。Peace Sells… But Who's Buying?は1986年リリースのメジャーデビューアルバム。
Violent Nature / I Prevail
アルバムのタイトルが同じというだけで映画とは関係ありません。 I Prevailは2013年結成、アメリカのロックバンド。一部スラッシーでエクストリームな曲もありますが、大半は丁寧に歌い上げる感じの聴きやすいモダンロック。買うかと言われれば買わない1枚。