【鬱映画?】10年越しに封印を解いて「ダンサーインザダーク」で超大号泣した理由を考察してみたらいろいろわかった話
はい、今日は2000年製作、デンマークの最強鬱ミュージカル映画、ラース・フォン・トリアー監督「ダンサー・イン・ザ・ダーク(原題:Dancer in the Dark)」をとりあげます。
この作品は、アイスランドのアーティストビョークさんが主演で、作中の良き音楽を担当していることでも有名。見た人も多いと思いますので、基本情報やあらすじは省き、感想のみを書こうと思います。
もしあなたがまだ見てないのであれば、
ぜひ予備知識なしでまずは一度見ていただき、
その後で再訪いただけるとありがたいです。
(離脱を促す斬新なブログ)
<以降ネタバレあります>
初見で大号泣からの封印
泣いたー!!
初見は約10年前くらいだったかと思います。人からすすめられて予備知識なしで見ましたが、もう大大大号泣! 生涯コンテンツの中で一番泣いた作品でした。あまりの衝撃(トラウマ)でベストウマコン!という評価になりつつも、心をえぐられすぎてつらく、封印状態へ……以降ずっと2回目を見る気になれませんでした。
この時何に泣いたかを考察してみます。
…って考察も何も、ビョークさん演じる主人公セルマへの同情に尽きるのですが、セルマのどこに同情するかは人によって異なるのではないでしょうか。移民、貧しさ、病気(失明)、子への愛、不幸な事故、冤罪…などなど同情ポイント満載の中で、私が同期した点が「他人に本音が言えない境遇(性格)」です。
とても困っているのに助けを求められず長距離を歩いて帰るとか、息子の手術という制約で事実を証言できないとか、いろいろな要因で言わない&言えないセルマが、モロに自分でした。何か人に言うより自分が損する方が楽、という難儀な性格です。
私の境遇には触れませんが、当然セルマに比べたら失明するような病もないし、人生を左右する搾取や事故にも遭っていません。が、もし同じ状況に遭遇したらきっとセルマと近い反応になっていただろう…と感じたのです。途中からホント自分を見ているようで、とても強力な感情移入が成立してしまいました。
そうなるともうダメで、劇中のセルマに同情しつつ、おそらく自分自身にも同情していました。不自由な性格と、それがもたらす最悪の可能性の示唆に、自分が積み重ねてきた損(犠牲)への悔恨が一気にあふれ出し、大号泣という結果になったのだと思われます。
けっして、子のための自己犠牲や、ふりかかる不幸の理不尽さに泣いたわけではなかったと思います。「オマエの生き方間違ってるよ」と正面きって言われたような映画で衝撃を受けて封印しましたが、そうやって目をそむけつつも嫌いではなく、むしろ自分の分身のようで、強烈に印象の残る好き作品となっていきました。
知的障がいの彼に見えている世界
この作品は、ビョークさんが手掛けたミュージカルシーンも有名ですね。そのミュージカルシーン=セルマの妄想として描かれている点が、他のミュージカル作品と違っていて好きです。(他のミュージカル作品をよく知りませんが)
通常のシーンは少しセピアな感じで、ミュージカルになると色が鮮やかになり、カメラも手持ちから固定やクレーンになります。現実が寒々としていて不安定、妄想になると安定した美しい世界になるのです。これに「!!!」となりました。
街でたまに知的障がいの方を見かけます。
つい先日もバスで前の席の方がそうでした。彼は一人でしたが何かずっと話しおり、いろんな方向を向いては、時折ちょっと大きい声を発します。真後ろでじっとその話を聞いていましたが、ついぞ内容を理解することができませんでした。
昔はそのような挙動に怖さを感じていました。
ところが、ダンサー・イン・ザ・ダークを見てから、彼らの見ている(見えている)世界がどのようなものかと興味がわき、怖さはまったくなくなりました。逆にその世界を知覚したいと注視してしまうほどです。アール・ブリュットやアウトサイダー・アートと呼ばれる作品群を見ていると、現実世界よりはるかに鮮やかで美しい世界がそこにある気がしてなりません。
そんな彼らの視点取得が捗った点も、この映画の評価点の一つです。
10年ぶりの2回目で見えたこと
さて、このブログに記事を書くために10年の封印を解いて2回目を見ることにしてみました。かなりの覚悟で臨んだのですが、これが不思議とまったく泣けませんでした。(ラストだけちょっとウルっときましたが) 自分でもホントにビックリです。その原因を考察した結果、以下の3点のような気がします。
1.展開がわかっていたから
2.自身が変化した(強くなった)から
3.初見で精神的デトックスされていたから
1については「妄想癖の不幸な女性が冤罪で絞首刑になる」程度しか覚えておらず、ほぼ初見な感じで見れましたし、2も少し自覚はありますが劇的には変わっないので、3の占める割合が大きいと考えます。
難儀な性格で積み重ねた不利益による自己否定感(または悔恨)が、初見の大号泣でだいぶ流れ出ていったんでしょうね。泣くことで副交感神経が活性化(リラックス)したり、ストレスホルモンを低下させる効果があるようです。
マイナス面で感情を強く揺り動かされたことで「鬱作品だ!」「トラウマ作品だ!」と思い込んでいましたが、実は逆で、超強力な治療・セラピー効果のある「ヒーリング作品だったんだ!」ということに10年以上経って気づいたという話です。いやぁ、言語化してみるものですね。
監督情報
冷静に2回目が見れたということで、ようやく周りの評価や映画の基本情報を調べてみることにしました。初見後即封印だったので、ホント監督の名前もこの10年以上知りませんでした。
ラース・フォン・トリアー監督は、1956年デンマークのコペンハーゲン生まれ。調べてみるといくつか気になる情報が出てきます。
・約8割以上の国民が信仰を持つデンマークにおいて無神論の家庭で育った
・本当の父親が別にいた(優秀遺伝目的)
・飛行機恐怖症で空路移動ができない
・ビョークその他女性へのセクハラ疑惑
・ダンサー・イン・ザ・ダーク以降で鬱病にかかり作風にも影響
やはり何か抱えてる人が創り出すコンテンツって、印象に残りやすい気がします。知的障害の方の話もしましたが、普通の人にはない視点というものは、(賛否はありますが)周囲をざわつかせるパワーを持っているのでしょうね。
ちなみに当初の脚本では、息子の目の手術が成功しないラストだったそう。あまりに救いがなさすぎるとビョークが訴えて、あのラストにしたようです。映画完成後も監督は「息子の手術が成功したとは描写していない(=友人のキャシーが刑に抗うセルマを落ち着かせるため手術が成功したと嘘を伝えたかもしれない)」というコメントも残しているとか。
鬼脚本です。
ちなみに、ラストでキャシーがセルマに握らせた眼鏡を注意深く見てみましたが、息子ジーンくんのかけていたものと同じでした。(もし同じじゃなかったらキャシーが用意したやさしい嘘説の確定なので)
トリアー監督の2009年あたりからの作品「アンチクライスト」「メランコリア」「ニンフォマニアック」は欝三部作と呼ばれ、これまた賛否激しい衝撃作品らしいです。急いで見てきまっす!
ラース・フォン・トリアー監督
“File:Lars von Trier 2014 (cropped).jpg” by Siebbi is licensed under CC BY 3.0
みんなの評価
他の方のレビューをいろいろ見てみましたが、いやぁ見事に好き嫌いが分かれてますね。嫌い派のコメントを抽出してみます。
・セルマの行動にイライラさせられる
・セルマのエゴや選択に共感できない
・内容が暗く救いがなく後味が悪い
・手持ちカメラが酔う
・ラストシーンがトラウマ
・夢と希望を歌うべきミュージカルがそうではない
・悲劇と描き切るならミュージカルシーンは不要
・キャラ設定とストーリーが貧弱
こちらの記事にも書いたとおり好き嫌いは人の自由なので、この作品を嫌いであることに対して否定はしないのですが、それぞれのポイントで反論できすぎて、タイプしようとする手にブレーキかけるのがつらいです。
2つだけ触れておきます。
一つめ、セルマはいろいろ判断や行動を間違うので「バカなの?ありあえない、見ていてイライラする」という意見多いですね。自分だったら最悪の結末を軽く回避できるのに…ということだと思いますが、え~と、物事を冷静に判断できない人もいることを認識し、少しでもその視点を理解してみようと寄り添うことはできないものでしょうか。こういう自分基準でしか世界を捉えられない人がいるからイジメがなくならないんですよ、きっと。(言い過ぎ)
もう一つ、「映画は救いや夢や希望があるべきなのに…」ってやつですね。もう、フフッってなっちゃいます。フフッってね。
モラルを凌駕する体面保持の背景
ラスト以外で一番うわぁってなって印象に残ったシーンを紹介します。
セルマのお隣(大家さん)のビルは警察官で、セルマの息子ジーンくんの面倒をみてくれたりするいい人です。ところが彼は、奥さんの浪費癖で借金に困っているという秘密を持っています。セルマが手術費用を貯金していることを知った彼は、ある日セルマの目がほぼ見えなくなっていることにつけこみ、帰ったふりして部屋に止まりお金の隠し場所を確認しようとするシーンです。
もう盗む気マンマンです!
奥さんに注意できない自分の弱さを、隣人の失明覚悟で貯めた手術費用で補おうとする、ダメっぷりと悪意にゾッとして、うわぁってなって「セルマ後ろ!後ろ!」って叫びたくなります。
引用:Dancer in the Dark
このビルが最悪なんですが、根っからの悪人ではありません。彼もどこかに心の弱さを抱えていて、浪費癖を注意することで奥さんが出て行ってしまうことを極度に恐れています。「奥さんにお金がないと思われたくない」「まわりから問題のある家庭だと見られたくない」という面子=体面保持が、悲劇の元凶になっているのです。
自由で裕福なはずの資本主義社会の弊害=モラルを凌駕する面子をおぞましく描くことでのアメリカ批判とか死刑制度の反対とかが、この作品の裏テーマっぽいですね。政治的イデオロギーのテーマは、当事者じゃないとなかなかピンと来ないのですが、今の日本という国…差別・搾取・格差・生きづらさ・etc、ピンと来まくりますね!
これも言い過ぎかもしれませんが、この映画は、見ている人の経済的・肉体的・精神的状況のバロメーターになりえる気がします。この作品が嫌いな人、刺さらない人は、健全で幸福な人生を送ってこられた方なのです。安心しましょう。
オープニング映像変更の意味
引用:Dancer in the Dark
映画のオープニング3分くらい、ビョークさん作曲の荘厳なテーマ曲を背景に抽象的な模様が浮かんでは消えていきます。クレジットも映画タイトルもありません。このシーン、昔見た時真っ黒だった記憶があったのですが、調べてみたらそうでした。あとから監督の意向で変更したそうです。
セルマの失明状態を表す(または結末の死を比喩する)黒のままでも良かったですけどね。劇中で、セルマが映画館でほぼ目が見えないのにミュージカルを見るシーンがあります。あのときセルマはスクリーンがこんな感じで見えていたのかなとも思います。
で、全盲の人がどう見えているかを調べてみたら、人によって異なりますが、色味を感じているなど、まったくの黒ではないことが多いようです。もしかしたらそのことで新しいオープニングに変更したのかもしれません。
全盲になったら、世界が何色になるかって、ご存知ですか?
— 浅井純子 (@nofkOzrKtKUViTE) March 21, 2021
私は正直、全盲になる前は真っ暗闇を想像していた。けれど、実際になってみたら真っ白な世界。これは人によって違うらしい。(ピンクや青色の人もいるとか。)
障害のある世界って、実は皆さんの想像とは違う世界なんです。。
他者の視界になり変わって見ることは決してできません。ですが、見れない・理解できないからイコール無や黒として遮断するものではなく、相手に寄り添って視界の色を想像してみよう、という解釈もできたので、この変更版オープニングも好きです。
まとめ
人には様々な病があり、それぞれの病に対する治療法や薬もそれは無数にあったりします。とある薬が、はじめは効いたのに、回数を重ねるごとに効かなくなるなんてこともあります。また、同じ薬が人によっては毒になったりもします。
このダンサー・イン・ザ・ダークは、私と私の病に対してたまたまドンピシャで効いた特効薬みたいなものであり、他の人に効くかどうかはまったく分かりません。むしろステータス異常になってしまう可能性の方が高くなることは容易に想像つくので、え~と、ここまで書いておいてですが、
おすすめしません!
おそらくですね、劇的に効くか、劇的に悪化するかの二者択一なので、相当の覚悟が必要です。ただ、もう末期の方でいろいろ試しても効果がなく、失敗してもいいから一縷の望みを、という方は処方してみても良いでしょう。
おしまいんざだーく