【鬱漫画】超えられない格差社会の明日はどっちだ!?超絶不幸スパイラル譚「四丁目の夕日」には【負】しかない/山野一

【鬱漫画】超えられない格差社会の明日はどっちだ!?超絶不幸スパイラル譚「四丁目の夕日」には【負】しかない/山野一

普段から筆の遅い私ですが、このマンガについては本当に筆が進みませんでした。もっと前に紹介するつもりでしたが、この作品を読み返したり向き合うたびにいろんな想いが湧き出てきすぎてまとまらず、手が止まってしまいました。

これを含む一連の山野一作品を読まないならその方が幸せかつ平穏であることは確実なんですが、反面「知ってほしい」とも思います。

ただこれは「良い作品だからおススメしたい」ではなく、どちらかというと<子供に家畜の屠殺シーン見せて苦悩させてみたい>というような意地悪な感情から来ていますので、

みんな逃げてーー!

 

他人の不幸は蜜の味だが過ぎたるは毒

(まだ前置きです)

この「四丁目の夕日」も、トラウママンガランキングなどでよく上位に入ってくる有名作品ですね。ただ他のコンテンツとは一線を画しています。他のだいたいの作品は、ホラー的なハラハラドキドキや、社会問題へのメスや教訓だったり、人の悲哀や尊厳による感動、場合によっては救われることもあったりと、なんらか心を動かされる部分があるのですが、この作品を含む一連の山野作品には、とにかく

「負」

しかありません。

私のこの作品に対するイメージを述べます。

暗くて臭くて深いドブ川の底を歩いている感じです。

足元はヘドロ的なものでとても歩きにくいのですが、壁面も何かぐちゃぐちゃで湿っていて、絶対手を付きたくありません。上部は格子でふさがれていて、ハシゴがあったとしても出られません。その格子よりも上、地上を往来する人が見えるのですが、なぜか助けを呼んではいけないルールのため前に進むしかありません。

やがてトンネルにさしかかります。奥に光が見えますが、上から何か汚い汁が垂れてきそうで進みたくありません。でも早くこの状況を抜け出したいので、意を決してトンネルに入ります。強烈な不快感と不安の中でも暗すぎるため急ぐこともできず、ゆっくりとゆっくりと進むしかありません。ようやく出口について上を見上げたら、やっぱり格子でふさがれていた……

という感じです。

私は大人になってからこの作品を読んだのでまだ(耐性があって)良かったですが、未成年時に読んでいたらと思うとゾッとします。この世の残酷な真理を知ってしまうことで、よりひねくれて○○○○な人間になっていたことでしょう。

この作品の主人公にはいろんな不幸がふりかかります。

「他人の不幸は蜜の味」とよく言われますが、この作品の不幸は1㎜たりとも蜜の味はしません。

超まずい棒 なめたら絶対お腹壊しそうなドブ川の底のヘドロ味

の不幸です。従来コンテンツの不幸シーンが、いかに生ぬるかったか、また蜜として楽しめるよう調理されたものであるかを思い知ることになるでしょう。

……ダメだ、前置きが止まりません。強制的に作品紹介に移ります。

 

基本情報

注:一部ネタバレありで紹介していきますが、なるべく抑えます。

 

●作者:山野一(連載時24~25歳)

●1985~1986年、ガロにて連載

●全1巻(172ページ)

●80年代ごろの東京都江東区の下町が舞台

●西岸良平の漫画「三丁目の夕日」とは無関係

 

あらすじを一言で言うと、

大学受験を控えた高校3年生、別所たけしくんに不幸がふりかかり続ける物語。

なのですが、もうちょっと詳しく、起きた不幸を時系列で書き出します。

・受験勉強で相手できない彼女に愚痴られる

・暴走族とトラブってボコられる

・母が事故、高額な治療・入院費に対して保険降りず

・治療費のため三倍働く父が機械に巻き込まれ死亡

・葬式の時に借金取りが現れボコられる

・進学はあきらめ父の印刷会社を継ぐ

・彼女さん、金持ちの立花君へ心変わり&せくす

・仕事が激減し倒産、工場と家差し押さえ

・家族を養うため別の工場で働くが先輩にイビられる

はい、ここまでで前半です。後半も不幸メガ盛りでおなかいっぱいなのですが、救いが皆無なので苦しさしか残りません

不幸話ですが、泣ける話でもないのがこの作品のポイント。従来の不幸で貧乏な主人公は「心が純真で行動が誠実」というのが定石でしたが、この作品の主人公たけしくんは、ちょっとそうではない部分があります。なので、かわいそうではあるが絶妙に感情移入しにくいキャラクターに仕上がっています。具体的には、

・受験のイライラから女性に声を荒げる

・中卒の三平君を「中卒のくせに」と罵倒

・プライドが高い

・壊れ方がきしょい など

きっと読了後には、いままで味わったことのない暗い気分になるでしょう。

 

特殊漫画家山野一先生情報

1961年生まれ、蛭子能収先生の特殊漫画に影響を受け、ガロでデビュー。他の作品も貧困、差別、狂気、エログロなど鬼畜系テーマが多く、その中でもこの四丁目の夕日は比較的読みやすい方だと思います。

四丁目の夕日執筆時、先生は24~25歳。大学卒業後に定職には就かず、風呂無し共同便所六畳一間の木造アパートという環境。当時ガロからは原稿料が出なかったため、バイトをしながら執筆活動をされていたそう。就職口もあったそうだが、人付き合いに難があったため、人と接しない漫画執筆という日々は幸福だったらしいです。

前の奥さんが同じガロ系漫画家「ねこぢる」先生で、共同創作をしていました。彼女が自殺後も「ねこぢるy」という名義でねこぢる作品を継承していたことの方が有名かもしれません。

 

最近では、再婚で生まれた双子の娘さんを題材にした育児マンガ「そせじ(1~4巻発売中)を発表されていますが、こちらは従来の鬼畜系とは違うハッピーマンガです。

 

かわいいイラストなども描かれおり、けっこう好きです。

山野 一(ねこぢるy)note

で、こちらが動画の山野先生。貴重です。

 

山野先生Twitter

 

好きな不幸シーン

個人的に好きな不幸シーンを一つ紹介します。

先輩からのシゴキ(暴力)がきっついブラック職場での昼休憩の出来事です。ばったり高校時代の同級生に出会いますが、遊び過ぎたせいで志望校には落ちて予備校に通っているとのこと。

同級生「そんなカッコして何だ アルバイトか?」

たけし「……………」

進学をあきらめ、家が倒産、自宅を失い、家族を養うために働いている(しかも劣悪な環境で)たけしと、同級生との格差が刺さりすぎて痛々しいです。もう、昼休憩くらい平穏でいさせてあげてーーーと思うのですが、山野先生、容赦しません。

入った定食屋がまたひどい…。せまくて汚いが、混みあっており、客層はちょっとよろしくない感じ。大声でうるさくしゃべっていたり、ギャハハハハと下品に笑っていて、放屁も遠慮なし。テレビのCMも「臭い喰いのオドイーター♪」という臭さを強調する徹底ぶり。

そんな中でたけしは豚汁定食を注文しますが、店員が不愛想! 料理の出し方が荒っぽい! 親指入ってる! もうこれらだけで唯一の安らぎを得るべきランチタイムが泥水ぶっかけられたように台無しなのですが……トドメに…

ごはんの上に陰毛が1本トッピングされていました。

わざとじゃないにしろ、この不幸の重なり方は不条理極まりなく、神の意志さえ感じるくらい奇跡的に絶望的です。3コマづつズームされる陰毛とたけしの目…・驚き、呆れ、怒り、絶望…どう反応すべきか、いやもうそれを思考する気力さえ奪われる不幸さ加減に直面したたけしの表情が秀逸すぎて、もう「あああああ」って声が出ちゃいます。

このページだけコマ割りの一部が欠けており、そのことによって不安定さ・不穏さが増大し、絶望感をより深めています。

汚い定食屋でたけしにふりかかる不幸

引用:四丁目の夕日 山野一 P104

好きなシーン

唯一泣けるかもしれないシーンがここ。

不幸が積み重なりすぎて、たけしくんは少し精神的におかしくなってしまいました。夜中にちょくちょく徘徊するようになったのです。

妹や弟が寝静まってから自転車で移動し、とあるマンホールから下水道に入っていきます。下水道へ降りる踊り場部分にいろいろなものを持ち込んで<たけし基地>を作っていました。

ウジがわくネズミの死骸があったり、ゴキブリが這う空間の中で、たけしくんは頭に懐中電灯を結び付けて、クスクス笑いながら六角ナットをジャシジャシ磨いています。ヤバいです! 精神が逼迫しています! 崩壊寸前です!

するとたけしくん、ピカピカに磨いたナットをドヴンと下水に投げ込みます。その波紋から泣ける幻が浮かび上がるのです。母も事故にあっておらず、父も健在で彼女とも仲睦まじい感じで、家族みんなで大学合格を喜んでいるようなシーンです。桜も舞っています。

この時のたけしくんの表情!

無表情で穏やかな感じですが、目は笑っていないなんとも言えない表情。少し前までは狂気のナット磨き○○○イでしたが、それは【いっそ壊れてしまった方が楽かもしれない】という想いからの演技○○○イだったのかもしれません。

しかし、まともであればこの境遇を嘆き、悔しがるのが普通なんですが、そんな感じでもない。妄想にふけりつつも壊れきっていない一歩手前のギリギリな状態…この静けさに実はものすごい緊張感をはらんでいる!…という勝手な解釈で一人盛り上がってしまったのがこのシーンです。

「このときのたけしくんの気持ちを100文字以内で書きなさい」という問題を共通テストの国語で出題してみてはどうですか。

引用:四丁目の夕日 山野一 P144

 

解説

この作品、書店ではほぼ入手不可能なので、電子書籍で購入しました。巻末に根本敬先生による解説(1986年記)と、山野先生ご本人によるあとがき(2012年記)があるので助かります。


ポイント1:2つの描きたいシーン起点

前半の父の死、後半のある大きな不幸、この2つのピークを描きたいがため、そこから人物構成やストーリーを構築していったとのこと。ただ落とすだけではなく、せいいっぱい持ち上げてから落とした方がショックが大きい、という意地悪な意図があったそうですが、先生、

あまり持ち上がっていませんw


ポイント2:心のバランスをとるための鬱屈解消

「社会になじめない劣等感」「バブルで調子こいた世相への憎悪」そういった鬱屈を、この作品を描くことで解消し心のバランスを取っていたのでは、とのこと。アートセラピー(芸術療法・絵画療法)という心理療法もありますので、まさにそうかなと思います。「人付き合いに難あり」…これによるコンプレックスやトラウマなどの負の塊が、鬼畜漫画を描き続けることでゆっくりと溶け出していったと考えると、その塊の大きさはいか程かと震慄するばかりです。

読者で、山野マンガを読んで鬱病が改善した、なんて方もいらっしゃいます。強烈な毒は時には薬にもなる、ということでしょうか。

 

まとめ

特殊な執筆前提とプラットフォームの奇跡

あとがきに、「原稿料がゼロだったため読者へのサービス精神は希薄」とあります。一般的な漫画家のモチベーション「読者を感動させたい」とか「売れてやろう」という前提が山野先生にはなかったようです。その前提がもう特殊なので、普通であれば同人誌などにして、個人または極小なコミュニティ間の娯楽で終わってしまうところです。

ところが、そういうスタイルも好しとするガロというプラットフォームがあったおかげで世に出て、30年以上経った今日まで誰もが読める環境にあります。これは奇跡です。


漫画文化の成熟から生れた必然としての影

1980年代前半は、アニメ展開含め漫画業界が非常に成長した時代です。「うる星やつら」「タッチ」「キン肉マン」「北斗の拳」「キャプテン翼」「ドラゴンボール」などなど、表舞台のコンテンツ群は社会現象と言えるほどの煌々とした輝きを放っていました。

ただ、その光が強くなればなるほど影も濃くなるのが必然。この四丁目の夕日のような作品が生まれたことは、文化の発展と成熟の所以に他ならない気がしてなりません。かつ、その多様性を誇らしくも思うのです。出版不況と言われる現代において、逆に中国や韓国などではデジタル環境の発展とともに急速にマンガ文化が育ちつつありますが、こういう作品が生まれるにはまだまだ時間がかかることでしょう。


強制現実引き戻し漫画

マンガを読んだり映画を見たり本を読むと、だいたいその作品に誘因されるというか没入する感じになるかと思います。この四丁目の夕日だけはその逆で、読み終わるとすぐに自分の現実を意識させられます。良いことが起きて浮足立っている方はもちろん、つらくて逃げ出したい方にも、この作品はおススメです。強制的に自身の現実に向き合わせてくれるはずなので、いったんそこで冷静になりましょう。

よく「遊んで!遊んで!」って感じで元気すぎて落ち着きのない犬っていますよね。そんな犬にこれを読ませると、大人しくなって壁際で伏せて遠くを見つめるようになる…そんな作品です。

おしまい


補足・注意事項

※劇中には一部、映画にしたらR15+以上に指定されるであろうグロテスク表現があります。